絶望をいかに乗り越えてきたか~世界初!太平洋横断の全盲ヨットマンのメッセージ

 全盲の人がヨットの舵や帆などを操る「ブラインドセーリング」での無寄港太平洋横断をこの4月20日に世界で初めて達成した「全盲ヨットマン」岩本光弘さん(1枚目の写真)の講演を聞いた。2013年6月にニュースキャスターの辛坊治郎さんと挑んだ太平洋横断で遭難、その挫折を乗り越えて再びチャレンジして成功した岩本さんのメッセージは学会ブログ読者も勇気づけてくれそうなのでエッセンスをお伝えする。
 演題は「自殺まで考えた全盲者が世界初の太平洋横断を達成できた理由」。絶望を乗り越えてポジティブに生きる秘訣を5つのキーワードにして話したが、文字数制限もあり、印象的な言葉とエピソードを列記することにとどめた。文末に岩本さんのプロフィール及び太平洋ヨット横断プロジェクトの概要を付けたので参考にしてもらいたい。
 なお、講演は私が所属するNPOちゅうおう経営支援(東京都中央区中小企業経営センター)と老舗企業研究会が出版社の株式会社ユサブルの松本卓也代表取締役の協力で8月2日に会員向けに開いた。岩本さんは同社から「見えないからこそ見えた光~絶望を希望に変える生き方」を発行(2月に第1刷、6月第2刷)している(3枚目の写真)。
 またこの会合では、岩本さんの教え子で盲目のシンガーソングライター兼盲特別支援学校教員の栗山龍太さん(2枚目の写真 盲導犬アンジーと)がパラリンピック出場選手への応援歌「リアルビクトリー」などの作品を披露した。
 以下が岩本さんの講演における発言の要旨(抜粋)
〇一般的に社会で言われる「ハンディ」は、太平洋横断をやらない理由にはならない。
〇見えなくてもセーリングできる。イメージをつくっておけば、夜でも「見える」というプラスもある。健常者の助けがないと困るのは航海の最初と最後の2~3日間、漁船などの海の障害物を発見することだ。
〇小さなエラーを少なくして大きなエラーをなくす。ハードルは湾内から外洋へなどと少しずつあげていく。
〇行動すれば先がある。最初のプロジェクトを例にとると、間寛平さんが使用したエオラス号の手当てや、辛坊治郎さんの同乗などいずれも、まず無理だろうと思われることだったが、行動した結果、実現した。
〇夢を語った時、人間は2つに分かれる。ひとつは「そんなの無理だよ」というドリームキラー。もうひとつは「すばらしいね。一緒にやろう」というドリームサポーター。ドリームキラーは我々のことを思って言ってくれる、感謝しなければいけない。そのうえでほんとうにやりたいのであれば夢は公言すべきだ。
〇目が見えなくなっていたころ、歩いても階段から落ちるので母親が杖をわたしてくれたが、私は「俺はめくらなんかじゃない」と受け入れず、「なんで俺を生んだ」と母親に言ってしまった。それがその後の私の心の痛みになった。
〇目が見えなくなった時、外出する初めの一歩はこわかった。一歩進んで二歩下がった。あの時、一歩出ていなかったら今はない。今は杖1本で世界どこへでも行ける。海の波がこわかった。だがエオラス号にありがとうと言っているうちに恐怖がなくなった。そしてセーリングを楽しめるようになった。
〇すべての出来事には意味がある。目がみえなくなった時はなんで俺だけがと思った。私のイメージの中にある天草のきれいな海に身を投げて死のうとした。だが今は、みんなに勇気を与えることができる。死んじゃいけない。太平洋横断も挫折したうえで成功できたので強いメッセージを出せるようになった。
〇太平洋横断の夢を抱くことができた背景には、アメリカに留学したこと、アメリカに移住したことがある。アメリカの大学では障がい者がいろんなチャレンジをしている、そして社会が受け入れている。また今回のパートナーのダグラスは「(太平洋横断プロジェクトで)命を失いかけたのにまたやろうとしているのはすごい」と再チャレンジに共感して支援してくれた。
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岩本光弘さんのプロフィール 
アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴにて指鍼術(経穴を指で押すことにより治療する方法)によるクリニックを経営。
1966年熊本県天草市生まれ、1979年13歳から残存視力が低下、1982年16歳で全盲になる。1988年22歳で熊本県盲学校専攻科理療科卒。 1989年San Francisco State University留学(2年)。1992年26歳で筑波大学付属鍼灸手技療法科教員、14年勤務。
2002年36歳でアメリカ人の妻に誘われ稲毛ヨットハーバー(千葉市)でヨットを始める
2006年40歳でサンディエゴに移住。2013年47歳で1回目の太平洋ヨット横断に挑戦・失敗 2019年52歳 世界で初めて「ブラインドセーリング」により無寄港太平洋横断を達成
挫折した太平洋横断(2013年6月21日)ニュースキャスターの辛坊治郎氏と2人で、間寛平さんがアースマラソンの時に使用したエオラス号で6月8日に大阪港、16日に小名浜港を出港、6日後の21日に金華山沖でクジラと衝突し遭難。21日に4㍍という大波の中、海上自衛隊の救難飛行艇US-2に救助された。
成功した太平洋横断(2019年2月24日)プロジェクトの支援者でもある米国人で健常者のダグラス・スミスさん(55)と岩本さんの移住先であるサンディエゴ港を全長12㍍の「ドリームウィーバー号」に乗って出港、4月20日に福島県いわき市の小名浜港に到着した。無寄港で1万3000㌔を航行した。
神原哲也(中小企業診断士・認定支援機関・日本記者クラブ会員・人を大切にする経営学会会員)

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