「残業は美徳」という思い込み

私が大学を卒業した1989年(平成元年)。世の中はまさにバブル真っ只中にあり、その時はやった栄養ドリンク剤のCMでは、「24時間戦えますか!」です。働けば働くほど豊かになると信じられた時代でした。一生懸命働くことが美徳との思いが、長く働けば働くほどよい、つまり残業をすることは美徳だという思いを抱かせました。今の若い人には考えられないことかもしれません。働き方改革が提唱されている現代においても、なお私たちの世代はついつい長く働くことが美徳であるという価値観がどこかに残っているような気がします。

 確かに、高度経済成長の大量生産時代には、より多くの物を作り出すことが豊かさの象徴となりました。大量生産をするためには時間当たりの生産量があまり変化しないとすると、時間を多くかければいいということになります。高度経済成長時代に残業は美徳という思い込みも定着したのではないかと思います。

 しかしそもそも近代化が始まった明治時代、たとえば1869(明治2)年の省庁の勤務時間は午前10時に登庁、午後2時退庁、1872(明治5)年の官営工場では、管理職職員は午前8時から12時までの4時間勤務でした(もっとも、職人は午前6時から午後4時まで10時間勤務という過重労働でしたが)(小熊英二著「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」より)。

 新型コロナ禍の社会でテレワークが広まり、これまで5時間かかっていた仕事が自宅のテレワークだと2時間で終わることが分かったりするなど仕事の時間の概念が大きく変わろうとしています。そして仕事の内容を棚卸しすると、「ブルシットジョブ」(必要も無いのに行っている仕事のようなもの)がいつのまにか多くなっていることに気がついたりするようになりました。

 一定の時間に最大限の効果を発揮することが美徳と思われる時代になっています。

一番大切なことは、制度や働き方ではなく、働くことの考え方なのかもしれません。

(学会 法務研究部会 常任理事 弁護士山田勝彦)

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