「青天を衝け」で語る大政奉還

NHK大河ドラマ、今年は面白いですね。的確に史実に合わせて脚本されているので当時の志士たちの状況判断を仲間内で議論しやすいです。現代の経営者にとってどの価値観を優先して決断するか大いに参考になります。番組「青天を衝け」では、大政奉還に至りました。最後の将軍である徳川慶喜の決断を皆さんはどう評価しますか?

現代で言えば、創業260年の老舗大企業の優秀なプロパー社長が企業経営を知らない大株主創業家に一任するという話です。決して喧嘩別れではなく、経営理念を尊重し企業継続という目的も共有しています。社長判断というよりも青年将校の課長級による企業内クーデターが実態です。

歴史のいたづらなのか、水戸家(徳川御三家の一つ)の血を継ぐ慶喜が将軍になることに江戸城(老中・大奥)は反対でした。水戸家の朱子学思想が将軍(武士)より天皇(皇族)を尊重することから、将軍家(江戸幕府)を潰す気ではないかと疑われ嫌われていました。

初代将軍家康は自分の分家となる3人の息子において、尾張家と紀州家は大納言とし将軍家の血統が途絶えた時のスペアとして配置しました。天皇家で言う宮家という分家に当たります。一方で、水戸家は中納言(黄門)とし将軍家を継ぐことなく将軍家を支える宿命を定めました。水戸光圀は、将軍を支える価値観として儒教朱子学にある尊王思想を水戸学として発展させました。

薩長にとっての尊王は倒幕のための手段であり、天皇を軽んじる彼らの態度を鑑みれば本気でないことがわかります。一方で慶喜の尊王は本物でした。彼の母親は有栖川宮の女王(吉子女王)です。慶喜は自分に流れる血は徳川よりも皇族である意識が強かったはずです。水戸家では正月行事として吉子女王に平伏していた家柄なのです。尊王の気概は藩士に及び、桜田門外の変(井伊大老暗殺)を起こすに至ります。

現代で言えば、幕府は内閣であり将軍は内閣総理大臣で日本国内の行政を携わります。内閣の施策を承認するのが天皇であり、天皇が内閣の施策を拒否することはありません。平安時代以来、現在まで変わりません。幕末の孝明天皇が攘夷を唱え開国を許さなかったのが実は異例だったのです。天皇が持つのは国民の平和を祈る神職(王者)としての権威であり、国内の政治を動かす権力は貴族や武士の中で強者(覇者)が担いました。

慶喜は本来なら朝敵(京都御所を砲撃した反乱者)である長州藩(毛利家の下級藩士)を征伐する意思を持っていましたが機を逸して失敗しました。反撃に転じた討幕派(薩長)の勢いを削ぐため、共通の上位者である天皇に政権を一任するという奇想天外な政治行動を取ります。慶喜の思惑には、天皇や貴族に緊急の外交問題を処理する能力はなく、結局は政策判断ができる自分に助力を請うことになると計算していました。味方の幕臣に嫌われようとも、大政奉還(公武合体の民主主義)こそ日本にとって最良の選択肢だったと現在でも評価が高いように思います。

徳川家の完全排除で主導権を握りたい薩長(西郷隆盛)は納得せず、江戸の幕臣を挑発し幕府に戦争を起こさせる戦略を立てました。これを反乱に仕立て上げ天皇を味方に引き入れて幕府を朝敵にするという奇略に成功します。もし慶喜と幕臣がビジョンを共有できていれば薩長に天下を取られることはなかったでしょう。260年前の関ヶ原の戦いの敗北という恨みを晴らす感情が慶喜の智恵を超えたのが明治維新ではないでしょうか。

薩長には倒幕のための人材は存在しましたが日本を運営する人財は幕臣にあったように思います。『青天を衝け』では優秀な幕臣(渋沢栄一など)にスポットライトが当たることに面白く感じます。(人を大切にする経営学会会員:根本幸治)

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