H君について

こんにちは、人材塾3期生兼4期生石井と申します。宜しくお願い致します。
今回は私の中高の同級生のH君についてお話したいと思います。

H君は、重度の障がい者ですが今新潟のある介護施設の施設長をしています。彼は右手と首が若干動く程度です。糖尿病をわずらっていたのですが、10年ほど前のある日意識混濁して階段から転落し脊髄損傷になってしまったのです。

私と違い明るく活発で性格も良く皆に好かれていた彼は、北陸地方の医大に進学し、そのまま大学のある場所で家庭を持ち医者として勤務していました。それがあのような事故にあい生活が一変しました。そして暫く入院先でふさぎ込んでいたようです。

H君の状況を聞きつけた歯科医をしている高校時代の同級生が、自分の勤務していた大阪のリハビリテーション病院に呼び寄せたことでH君はだんだん元気を取り戻してゆきます。体も多少動くようになったようです。元々明るい性格の彼を慕う人は多く、数多くのお見舞いの方が彼のところに行きました。私もその頃お見舞いに伺い彼の姿に衝撃を受けた事を覚えています。「可哀そうだな、大変だな」と気持ちでいっぱいでした。

彼はその後知り合いのお医者さんのつてで新潟の病院に転院することになります。8年くらい前でしょうか、私がお見舞いに行ったときは、大阪時代よりはるかに元気になっており、画像診断のバイトをしてしっかり稼いでいました。「稼いでIPSで治してもらおう」などと軽口を聞いていたのを覚えています。懸命に生きようとしている姿に感銘を受けました。

それから2年ほどして彼が新潟の施設に施設長として勤務を始めた事を知りました。たまたま新潟に行く機会があった私は彼の元を尋ねました。彼は別の施設で夜は介護を受けながら、昼間は施設長として勤務していました。会って話をしてみると、彼はもう立派な役割を果たす社会人でした。車いすを押してもらいながらさっそうと回診してゆく姿はプロそのものでした。

一通り昔話をしながら、私は彼に対して「可哀そう」だと言う気持ちが一切無くなっているのに気が付きました。彼は自分の人生をしっかり生きているのです。「可哀そう」どころか
「ひょっとしてH君は自分よりしっかり生きてるのでは」とさえ思えてきました。

今でも時折彼の事を思い出しては、「もっとしっかり生きなきゃ」と反省しています。コロナで暫く行けなかったけれど、またH君に会いにいって流されがちな自分に活を入れてきたいなと思っています。

人財塾3期生 株式会社三和製作所 石井康文

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