No238 過去の受賞企業から ~第10回日本でいちばん大切にしたい会社大賞より⑫~
今週は第10回の日本でいちばん大切にしたい会社大賞受賞企業20社の中からホームページが印象に残った社会福祉法人太陽の家さんをご紹介致します。
社会福祉法人太陽の家は大分県別府市にあり、市内で生まれ医学の道を進んだ中村裕さんが設立の中心メンバーです。
●設立の経緯
中村裕博士は当時未開の分野であった医学的リハビリテーション研究の道を歩み、身体に障がいのある人の社会参加、特に仕事を通じての自立とスポーツに情熱を注ぐことになりました。
博士は、1964年東京パラリンピックにて日本選手団団長を務め、評論家の秋山ちえ子氏や作家の水上勉氏との出会いなど数々の経験から、障がいのある人は仕事を持ち自立することが最も必要であるという信念に至りました。そして「保護より機会を!」、「世に身心(しんしん)障害者はあっても仕事に障害はあり得ない」という理念の下、1965年太陽の家を創設しました。
東京パラリンピック参加の前に、イギリスのストーク・マンデビル大会に2名の選手派遣の了解を得ましたが、肝心の旅費がなく、中村博士は自分の愛車を売ってそれに充てたといいます。
この大会に日本からの参加があったということが世界に大きく報道され、日本のパラスポーツへの認識を深めることになるとともに、厚生省もリハビリテーションの推進に力をいれることになってきました。
●東京パラリンピック
1964年11月8日、21カ国378名が参加して東京パラリンピックが開催されました。
中村博士は日本選手団団長に選ばれ、日本の成績は金メダル1、銀5、銅4で、全体では13番目という成績でした。
大会は無事終わりましたが、中村博士は複雑な思いに駆られていました。
外国人選手は試合後も行動的で明るく、ほとんどの人が仕事を持っており障害のない人と同じような生活をしていました。一方、日本選手は53人中仕事をしているのはわずか5人、他は自宅か療養所で世話を受けていたのです。
この格差は、中村博士に「これからは慈善にすがるのではなく、身障者が自立できる施設を作る必要がある」と解団式で述べさせました。
●現在の太陽の家 全体(利用者・社員・職員) 在籍者数
大分県内 障害あり763名、障害なし627名
大分県外 障害あり328名、障害なし117名
合計 障害あり1091名、障害なし744名
●企業関連と利用者数
大分県内 オムロン太陽(株) 三菱商事太陽(株) 富士通エフサス太陽(株)ソニー・太陽(株) ホンダ太陽(株)
大分県外 デンソー太陽(株)オムロン京都太陽(株)
7社を合わせて547名の障がい者が在籍しています。(身体427名知的39名精神63名発達18名、障がいのない職員さんは336名)
更に太陽の家にさまざまな仕事を提供している企業があります。
株式会社電子印刷センター(印刷・製本)、有限会社大分タキ(福祉機器の販売・レンタルなど)
株式会社大分銀行太陽の家支店、株式会社トキハインダストリー(スーパーマーケット)
●最後に
大分市で生まれ医学の道を進んだ中村裕さんの人生はまさに開拓者です。1984年若くして57歳で生涯を閉じています。
国を動かし、人を動かし、多くの障がい者の生活を豊かにしたその言動は真のリーダーです。
***補足***
この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)
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