「心地よい3時間」

人財塾5期生の石原伊知郎です。私は、岡山県備前市で建設業と農業法人を経営しています。

今日までの人財塾での学びの中で感じたことをまとめたいと思います。

私の地元である備前市からは、人財塾に3期生・4期生と連続して参加されており、その方々からの推薦もあり、5期生として受講することとなりました。

一度お会いしたことはありましたが、主に書籍の中でしか存じ上げていなかった坂本先生の生の声をお聞きする機会に恵まれたことを楽しみにしながらも、私には気がかりなことが何個かありました。

一つ目は、会社の事です。

平成16年に私が創業した伊知建興業は、従業員が増えた今でも私を中心として回っている会社です。月に1回2日間、新幹線で3時間の距離ではありますが、何かあった時に物理的に手を出すことのできない距離にいる事に、不安と心配がありました。

二つ目は、病床の母の事です。

4月の開講の時点で、もう長くないことはわかっており、母の事も、ずっと心配で仕方がありませんでした。

迎えた4月、前日までにできることはすべて済ませ、万全の状態で乗ったはずの金曜日早朝の新幹線は、まさに後ろ髪をひかれるような思いを感じた3時間でした。

1日目の講義が終わり、会社に連絡し大きな問題もなく1日の業務が終わった報告を受けた時、とてもホッとしたことを覚えています。

2日目の講義が終わり飛び乗った新幹線は、何もない時より遅く感じられました。

土曜日の深夜、会社に到着し、2日間の業務が無事終了していたことに安堵し、同時に知ったことは、全従業員が、私が安心して東京に行けるよう、いつも以上に安全に留意し、自らで考え行動していたことです。私が東京で学び成長する以上に、従業員の成長を感じることができました。

7月、長い闘病生活の末に、母が亡くなりました。

仕事も忙しい時期であり、いろいろな課題に追われ、7月の講義への参加は無理ではないかと考えていました。

「今回、講義を欠席したらどれだけ楽だろう・・・」そう思い始めたとき、母の顔が頭をよぎりました。

私は若い頃より「学ぶ」という事をあまりしてこなかった人間です。その事を母も少なからず気にしていたと思います。その私が、50歳を超えた今、東京で学ぶという事を、母はとても喜んでくれていたと思います。それなのに私は少しでも楽になろうと考えている。

母の死を一つの理由として・・・

その事に気づいたとき、私は何としてでも講義に参加しようと心に誓いました。

私の想いに、従業員や家族は全面的に協力してくれ、毎月ある発表資料の作成は、先輩である3期生・4期生の二人が手伝ってくれました。

いろいろな想いを抱えながら受講した7月の講義は、坂本先生の言葉がいつも以上に心に響き、何とも言えない暖かい気持ちになりました。

あっという間の二日間、いろいろな人の協力のもとで参加できた講義、帰りの新幹線での3時間は、今まで感じたことのないくらい心地の良い3時間でした。

その時から毎月の講義帰りの3時間は、私にとって、とても大事な3時間となり、私を送り出してくれる従業員や家族への感謝と共に、忘れることのない時間です。

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