NHK大河「どうする家康」を仕事に活かす・三方ヶ原篇

1573年 家康31歳 三方ヶ原(浜松市)の戦い 勇猛を絡め取られて武田信玄に敗北。

織田信長は、足利義昭を15代将軍に据え畿内に勢力を張っていましたが、将軍との友好関係は壊れ、信長包囲網が形成されていました。信長を絶体絶命に陥れたのが、最も恐れていた甲斐(山梨県)の武田信玄による打倒信長軍の発進です。

徳川家康は、長年の仇敵である武田勢と決戦するに当たり、同盟者の信長に救援を求めましたが、期待した大人数は来ず、窮地を脱せませんでした。浜松城での籠城戦で対抗することを選択します。

武田信玄は、なぜか家康のいる浜松城を攻めることなく素通りし、信長との決戦を求めて大軍勢を西に進めます。

徳川家康は、無視された思いを怒りにぶつけ、家来の反対を押し切って、信玄を追いかけ全軍で敵の後方に襲い掛かります。

武田信玄は、追いかけてくるであろう家康軍を待ち伏せしており、完膚なきまでに叩き潰しました。

徳川家康は、命からがら浜松城に退却し、脱糞してガタガタ震える自分の姿を絵師に描かせて、自分の未熟さを戒める教訓として残しました。                            

あなたが家康なら、最強信玄と対面したとき、どうする家康?                 (人を大切にする経営学会会員:根本幸治)

『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)

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