仕事を退屈と感じてしまうこと

毎日忙しく働いているのに、ふとこの仕事、この人生、「退屈」だなあ、と感じてしまうことはありませんか?そのような社員はいませんか?

退屈と感じる時とはいつか。分かりやすいのは、待ち時間です。ただひたすら待つだけの時間は退屈です。何か気をそらすようなことをしてみても、すぐに飽きてしまい退屈な時間を感じざるを得ません。一方で、何かしている時でも退屈を感じることがあります。たとえば面白くない授業を聞いているとき、退屈と感じます。

 退屈を自覚すると、なんとなく不安に感じたり、嫌な気持ちになったりしたことはないでしょうか。人はこのように退屈を自覚することを嫌がるといわれています。それはなぜか。退屈を感じている時、人は「空虚」を感じるからだと言われます(「暇と退屈の倫理学」國分功一郎著、ハイデッカーの分析から)。その時間が空虚であると感じているとき、結局、その人は、自分の人生そのものが空虚である、つまり生きる「意味」がないと感じてしまうからではないでしょうか。新型コロナウイルス禍で自死が増えたのもそのような思いが影響したのかもしれません。

 それでは、なぜ人は退屈を感じてしまうのか?待ち時間が退屈なのは、その時間を自分でコントロールできず、待つことによる強制を受けてしまっているからです。

 面白くない授業を受けているときに退屈を感じるのは、自分が関心をもっていない内容を強制されて聞かなければならないからです。このように人が退屈を感じる時、つまり空虚に思う時というのは、何らかの「強制」があるとき、言い換えれば、自分で自分のことをコントロールできていない状況にあるときだと言えます。

 では、仕事が退屈だと感じてしまう社員はどうか。

 その社員は、仕事を強制されている、つまり自分で仕事をコントロールできていないと感じているからだということになります。

仕事を忙しくしながらも、退屈だと感じてしまうこと、空虚だと思ってしまうことは、社員にとって危機的な状況です。仕事の時間は概ね人が起きている時間の半分を占めます。その時間が空虚だということは、人生そのものも空虚だと感じてしまいかねません。また前述した面白くない授業を聞いている生徒が授業に全く集中していないのと同様、その社員も仕事に集中をしておらず、その結果、ミスが生じる場合もあるでしょうし、仕事の効率も悪くなるでしょう。

 仕事が退屈だと感じてしまう社員がいることは、その社員自身にとっても、会社にとっても、社会にとってもいいことにはなりません。

 では、仕事を退屈と感じないようにするためにはどうするか?

仕事を強制されず、自分で仕事をコントロールできればいい、つまり、主体的に働くことができればいいということになります。そして主体的に働くとは、言い換えれば、仕事を我がこととし、自らの判断で働くということを意味します。

そうすれば、社員は「退屈」せずに働くことができます。

 とするならば、経営者は、社員に主体的に働いてもらわなければならないことが分かります。仕事を強制するのではなく、社員が主体的に働ける環境を作る責任があります。

そうすれば、社員は「退屈」を感じることなく、生き生きと働き、仕事の生産性も高まり、会社も、そして会社を通じて社会も豊かにすることができます。

 もとより組織内で仕事をする以上、共通の目的も目標もあり、一定のルールがあるのは当然ですが、その範囲内で、社員に一定の権限を委譲し、社員が主体的に働くことができるような職場環境を作ることが大切なのです。

 社員とその家族を大切にする会社は、社員に「退屈」を感じさせない会社でもあるのです。

 (学会 法務部会 常任理事 弁護士山田勝彦)

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