NHK大河「どうする家康」を仕事に活かす 明智光秀篇

信長は多くの家臣から裏切られました。それを返り討ちで成敗してきました。

されど、ついに暗殺されます。

明智光秀                                          美濃の守護だった土岐氏の一族。さらに祖先をたどると、源氏にいたる由緒正しい武士。      信長や秀吉や家康よりも血筋が良いのです。年齢も彼らよりも年上です。                          ただ、明智家は落ちぶれ、主君・斎藤道三を失い放浪生活を続けます。

朝倉義景に仕え加賀の一向一揆の際、鉄砲隊を50人以上従え戦果をあげたという説があるようです。
また、室町幕府13代将軍・足利義輝が謀反で殺された時、弟・足利義昭が、朝倉義景の領地であった越前の国に落ち延びています。同時期に光秀が、越前の国にいた痕跡があることから、朝倉義景の家臣だったことは、ありえるかもしれません。朝倉を頼った足利義昭にも仕えました。織田信長が義昭を助けて将軍職に就けると、光秀は義昭から信長に仕えるようになります。

光秀の性格

  • 緻密(ちみつ)な戦略をねり戦上手といわれた
  • 人材マネジメントに優れていた
  • 高い教養を持ち、幕府や天皇家、公家とも親交が深い
  • 光秀の治世は慈愛に満ちており、領民に慕われていた

官僚能力が高いため、公家や幕府との交渉に優れています。真面目なので信長の比叡山焼き討ちの命令に忠実に実行し、皆殺しにしてしまいます。このとき秀吉は、命令に反して裏道から逃がしたと資料にはあります。

暗殺の動機は何か?

犯行直前まで、信長の命令に忠実でした。出世競争では、秀吉よりも早かったのです。ところが、ここにきて、突然に自分の任務だった四国の運営職務を解消され、領地も取り上げられて、秀吉の任務だった毛利攻めを助けるように命じられたことが原因かと思われます。仕事への緊張感が解け、信長に評価されていないという挫折感で精神の均衡を失ったと思われます。あまりにも計画性のない突発的な信長襲撃だったからです。

メンタルサポートはこの時代から重要だったのです。

(人を大切にする経営学会:根本幸治)

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