NHK大河「光る君へ」を仕事に活かす 花山天皇    

花山天皇 968-1008年                                    16歳で天皇につき、18歳で退位して出家し、41歳で死去しました。在位はわずか2年。       されど、エピソードは豊富です。

闇夜の肝試し                                        花山天皇は、藤原兼家の息子3人兄弟の道隆・道兼・道長に闇夜の肝試しを吹きかけます。      道隆と道兼は闇夜の怪奇な物音や巨大な影に脅えて引き返します。                道長は指示通りに大極殿に行き、行った証拠に高御座の柱を削り取って持ち帰りました。

寛和の変                                          花山天皇は藤原為光の娘・忯子に熱愛し女御とすることを望みます。深い寵愛を受けた忯子(弘徽殿女御)は懐妊しますが17歳で死去します。18歳の花山天皇は大きなショックを受け、「出家して忯子の供養をしたい」と言い始めます。天皇の生来の気質から、出家願望が一時的なものであると見抜いた関白頼忠らは天皇に翻意を促しました。しかし、父・兼家の意向を組んだと思われる道兼が、自分も出家するからと天皇に退位と出家を急がせ平安京内裏から連れ出します。月明かりを見て天皇が出家を躊躇すると、三種の神器はすでに皇太子のもとへ移されているのでもう戻れないと道兼が急き立てます。天皇が剃髪したのを確認すると、道兼は親に反対されたのでと剃髪せずに逃げてしましました。天皇位は兼家親子の自由にできる一条天皇が即位し、道長の天下につながります。

この天皇退位を陰陽師の阿倍清明が事前に察知したものの、もう間に合わないものとして引き止めることはせず、藤原氏の意向に迎合しました。

花山法皇襲撃事件                                      出家後の花山法皇が29歳のとき、かつて寵愛した女御・藤原忯子の妹に花山法皇が通いだしました。それを藤原伊周は自分の相手の姫君に通っていると誤解し、弟の隆家に相談します。隆家は従者の武士に法皇の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で射抜きます。花山法皇は体裁の悪さと恐怖のあまり口をつぐんで閉じこもりましたが、この事件の噂が広がり、藤原道長に利用される形で、伊周・隆家はそれぞれ左遷の体裁で実質的な配流となりました(長徳の変)。これにより、あの出家事件の首謀者であった兼家の孫で、道隆の子であった中関白家の伊周はライバルの道長に政治的に敗北することとなり、出世の道は途絶えました。

花山法王は、その後も女性問題などで世を騒がせつつも、仏道に励み芸術面で才を発揮し40年の生涯を終えました。                                       (人を大切にする経営学会:根本幸治)

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