NHK大河「光る君へ」を仕事に活かす 藤原兼家

藤原兼家 929-990年 摂政関白太政大臣                           父:藤原師輔(藤原北家 右大臣)の三男                          子:道隆、道綱、道兼、詮子、道長                              敵:兼通(兄)、藤原義懐(甥・花山天皇の外祖父)、源雅信                    外祖父:一条天皇

策略により花山天皇を廃位に、摂関家の嫡流として地位を確立。以後の摂関家は兼家の子孫が独占し、五男の道長でピークを迎えるも、北家九条流として現代に継承されています。

寛和の変                                          花山天皇は寵愛していた女御・藤原忯子(義懐の嫁の妹)が急死、絶望して世を棄てることさえ言い出していました。兼家一派はこの間隙を突き、兼家の三男・道兼の手引きで花山天皇を宮中から連れ出し、山科の元慶寺で天皇を出家させ、退位に追い込みました。策略は成功し、一条天皇が即位。兼家は天皇の外戚となり摂政・氏長者となります。天皇の外祖父が摂政に就任するのは、人臣最初の摂政となった藤原良房(清和天皇外祖父)以来のことです。

寛和2(986)年、孫の懐仁が一条天皇として即位した時のことです。式場となる大極殿は、飾りつけをする人たちでにぎわっていましたが、ちょっとした騒ぎが起きます。髪の毛の生えた得体の知れない血の付いた頭が、天皇の玉座で発見されたのです。予期せぬ不吉な出来事に、対応に困った儀式の責任者が、人を介して兼家に報告したところ、何やら眠そうにするばかりで、一言も発することがない。聞き漏らしたのかと思い、再度指示を仰ぐも兼家は何も言わず、そのまま、また眠るようなしぐさを見せました。しばらくして、ふと目を覚ますと、こう言ったのだという。               「飾りつけは済んだのか?」                                 これを聞いて側近はすべてを悟り、その場を退出したのだという。兼家は何も反応しない態度をみせることで、側近に「怪事をもみ消せ」と伝えたのである。歴史書『大鏡』では、兼家がたぬき寝入りして怪事を無視したことについて、こう締められている。                      「怪事を無視して何の問題があるのでしょうか。何もありません。兼家の判断は完ぺきなものだったのです」                                          (人を大切にする経営学会:根本幸治)

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