ごちゃまぜ「シェア金沢」さんから学ぶ。5

ごちゃまぜ「シェア金沢」さんから学ぶ。5

昨年、7月21日にカンブリア宮殿に登場した。
日本の将来の姿と感動した。

最後は涙が出てきた。

村上龍
「銀行からの借入れ11億円は返せますか?」

雄谷理事長
「保証人になったけれど自分の生涯賃金では返せない。」

「支店長会議で私は佛子園を応援します。
佛子園を応援しなくて何が地方銀行だみたいなことを支店長が言った。」

「みんなも、いいんじゃないか、それで。」

銀行は貸したくても貸さない方が多いようだ。
クラウドファンディングもみんなからの良さがあるが、
未知の支援も銀行、特に地元の地銀とか信金はやって欲しい。

アメリカで子どもが心臓移植をする場合、お母さん方を主に数億円のお金が集まる。
凄いなと思う。

22日に雄谷理事長を訪問した坂本教授が、「日本でいちばん大切にしたい会社」5の28Pから掲載されている「北海道光生舎」の創業者で亡くなった高江理事長の話をした。

創業者の髙江常男は、小学校のときに竹とんぼがあたったことで右目を失明。送電工事に携わっていた17歳のときには3,000ボルトの高圧電線で感電し、両腕を失いました。
つらい療養のあと必死に勉強に勤しみ、文学で身をたてようと活動していたところ、地方紙の新聞記者として職を得ることができました。
しかし口にペンを咥えて取材に歩くなか、炭鉱事故でケガをして仕事を見つけることができずにいる身体障がい者の存在を知り、彼らの仕事探しに奔走するも雇ってくれる会社はなく、「それなら自分たちで働く場をつくろう」と苦労して立ち上げたのが「赤平ドライクリーニング工場」でした。

創業当初は資金繰りにも苦しみ、何度も苦境に立たされましたが、その都度熱い情熱で乗り切り、北海道光生舎は次第に発展していきました。
高度成長期の波にも乗り、積極的な営業戦略と近代的な設備投資で、北海道内でトップクラスのクリーニング事業を営むまでになったのです。
仕事には大変厳しい姿勢で臨んでいましたが、利用者にはとてもやさしく、障がい者の将来のことを思い、高齢者や重度障がい者の介護施設の設置も進めてきました。
平成12年1月突然の脳梗塞で倒れ、そのまま意識が戻ることはなく、倒れてから6年6か月後の平成19年7月、愛する家族に見守られながら静かに息を引き取りました。享年80歳の生涯でした。
髙江常男の生涯は、ラジオドラマや書籍、アニメ映画等になり、広くみなさんに紹介され、多くの反響を頂いています。

労働金庫が赤平市が保証するという条件付きで融資をした。
詳しくは本を読んで欲しい。

私は、ラッキーなことにその奥さんと息子さんの理事長と3回も会う機会ができた。
高江さんの前ではできないとは言えない。

地銀や信金は合併が進む。効率ばかり考えないで「あの、銀行が貸してくれたから」の口コミが広がる銀行に資金が集まって欲しい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です