No158記憶に残る経営者の言葉58 社会福祉法人北海道光生舎(北海道赤平市;クリーニング業)髙江 智和理理事長

今回は2017年9月に坂本ゼミ夏季合宿としてご訪問した北海道赤平市にある『社会福祉法人 北海道光生舎』さんです。

創業者の高江 常男氏は、10才の時に片目を失い、さらに17才で両腕を失った方です。人生の絶望から障がい者のために人生をかけた方です。視察では創業者の息子である髙江 智和理理事長のお話、そして創業者の奥様のお話から記憶に残る言葉を紹介させていただきます。

●創業者;高江常男氏

1927年(昭和2)、北海道の赤平に11人兄弟の6男として生まれました。

10才の時、竹トンボの事故で右目を失い義眼に。

15才で電気技師の資格とりましたが17才のとき山奥の電気工事に出かけ高圧電線の事故で両腕を失いました。

●創業まで

時代は第二次世界対戦。父は戦争へ。兄3人は戦死。

“着替えやトイレは一人ではできません。兄夫婦のお嫁さんには申し訳なく世話になれず、トイレは必死で我慢する毎日だった”

“生活のために何とか職を見つけなければならず、口に筆をくわえて文字を書き始めた”

医師からは、“この身体では人生は長くない”と言われ、“短い人生ならと1日3時間の睡眠で猛烈に努力した”

7年後、友人のつながりで新聞記事を書く仕事が見つかったのです。

“赤平は炭鉱の町だけあって回りには自分のように事故で不自由な人が多かったことから、そんな人々ができる事業をおこしたい”と考えたのです。ご自身が辛く厳しい状況にあっても利他の想いに溢れた優しさに溢れています。

1年かけて障がい者が働き利益を上げる事業計画を作り、狭き門を乗り越え、銀行の融資が決まりました。北海道光生舎の前身が誕生。15名でスタートしました。

ご自身は創業後も10年間無給、新聞記事を書き続けることで生活費を工面していたのです。

この視察では当時85才になっていた奥様に直接お会いしました。

“障がい者の生活を支え続けた”

“障がい者に粗末なものは一切食べさせなかった”

“約200組の障がい者の結婚を実現した”

“障がい者同士の結婚を案じて反対する親を何度も通って説得した”

今ではすべてが嬉しかった思い出だとお話されました。

 

創業者;高江常男氏と奥様は人生のすべてを障がい者のために捧げています。

北海道光生舎の存在は誰もが知るべきであり、誰もが大切にしなければならない日本の宝だと感じます。

以前に投稿した記事は 北海道光生舎【No41いい会社視察2017/9/12】 です。このブログ内を検索してご参照ください。

***補足***

この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

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