渋沢栄一が語る『論語と算盤』

NHK大河ドラマで渋沢栄一が取り上げられていますが、渋沢が書き残した『論語と算盤』も注目されています。昔から全国の経営者グループなどにおいて読み合わせや議論をする会が運営されてきました。そもそも、論語と算盤は対立する視点です。論語は金儲けを忌み嫌います。算盤は理念倒れを馬鹿にします。渋沢は、どちらかに軍配をあげるのではなく臨機応変に活用せよと言っています。渋沢は日本資本主義の父と呼ばれます。現在の日本経済の源となっている500社以上の会社を興した算盤(収益)の名人として有名ですが、逆賊と世間に批判された元上司の徳川慶喜を見限ることなく名誉回復を果たした論語(忠孝)の名人でもあります。

『論語と算盤』を読んでいると、渋沢は武士道と商道は両立すると考えていたことがわかります。されど、矛盾する局面が必ず出てきます。理念重視か現実重視か。義理尊重か利益尊重か。税金を効率的に使うために福祉支出をどこまで認めるのか。現在においても難しい問題です。渋沢はどんな基準を持っていたのでしょうか?私は、渋沢は「嘘も方便」として自分に都合よく解釈し、論語にも算盤にも縛られることなく自由に行動し適者生存で生きたように考えています。なにしろ、農民として尊王攘夷に染まり倒幕活動をしていながら、敵である幕府(徳川慶喜)からのスカウトを受け入れて幕臣になった男です。明治に入ってからも渋沢の行動力は常識人を超えます。論語に反して、行政に携わり政策にも関与できる大蔵官僚を辞職(大臣就任も拒否)します。算盤に反して、独裁資本主義の岩崎弥太郎と敵対し破産覚悟の海運値下げ競争に真っ向勝負で立ち向かいます。議会が算盤勘定に合わない養育院(福祉医療)の廃止を決定すると私財を投げ打って反対します。

渋沢が『論語と算盤』を書き残すきっかけとなったエピソードがあります。渋沢は、外遊先のロンドンで商工会議所の英国人から「日本人は約束を守らない」という言葉を聞いて衝撃を受けます。明治に入り近代化の波を受けた日本人たちは目先の利益を追求することに狂奔し、商業道徳が著しく荒廃していたのです。このままでは日本は世界から取り残されてしまうと考えた渋沢は、「実業と道徳の一致の必要性」を全国で説いて回ります。西欧で目の当たりにした金融機関や株式会社が「信用」を媒介にして回っているという事実から教訓を得ました。信用こそが経済と道徳を結び付ける鍵だったのです。

『論語と算盤』という相矛盾する価値観を適宜に活用した渋沢ですが、彼の生き様を見ていると揺るがない価値観があることに気づきました。それは公益無私という価値観です。渋沢は財閥を作った岩崎と違い子孫に財産を残しませんでした。社会に対しても資本主義ではなく「合本主義」を唱えました。公益を追及するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め事業を推進させるという考え方です。さらに、『論語と算盤』の中で、「道徳経済合一説」という理念を唱えました。倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に自身にも心がけました。

最後に『論語と算盤』に書かれた言葉を共有したく下記に残します。(人を大切にする経営学会会員・根本幸治)

「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。事柄に対し如何にせば道理に叶うかをまず考え、しかしてその道理に叶ったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にも叶い、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである」(渋沢栄一:享年91歳=天保11年-昭和6年)

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