アフラック 日本での成功の秘訣

アメリカンファミリー生命保険AFLAC は1955年にジョージア州コロンバスに設立された地方の小規模なファミリー企業であり、今でさえ営業収益の70%は日本企業で得ています。創業者で社長だったJ・B・エイモスは、日本市場にそれまでなかったニッチ分野を開拓する商品としてがん保険を選択した。

日本市場への進出を準備し、大蔵省からの事業免許取得の交渉を進めるために、エイモスは1972年に大竹美喜さん(当時33歳)を雇った。大竹さんは米系のAIUの営業部門で抜群の成績をあげていました。AIUでは生命保険業のアリコ・ジャパンの設立にも当たりました。

アフラックの逆境は、事業免許取得が進まない、同業からの支援は無い、個人向け販売網が無い。

大竹さんは、毎日大蔵省に通って田中角栄大臣に信任され免許を1974年に取得。          さらに新たな販売網として、一般企業の人事部・総務部に働きかけて、各社の人事部門に従業員1名の代理店を設立しました。アフラックにとっては代理店を作るコストがかからず、代理店には手数料40%とした。従業員が10万人の企業であれば年に10億円近い純利益を生み出す計算でした。実績は9か月で契約件数30万件を超えました。

外国企業でも日本への参入障壁を超えて、監督省庁と忍耐強く時間をかけて丁寧に関係を構築したことが成功の秘訣となりました。                                 他社が日本の官僚制度について時間がかかり過ぎると不満を公言するのとは大きく違っています。

ガンを話題にするのは日本人のほとんどにとってタブーだったし、ガン告知を避ける傾向が強かった中で、ついには社会常識を変えてしまったのです。

日本の上場企業の90%以上がアフラックの保険商品を従業員向けに販売しているので、今後も長く圧倒的なシェアを維持する可能性が高い。

次回は、日本法人の創業者である大竹美喜さんの人間性に触れていきます。           (人を大切にする経営学会会員:根本幸治)

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